富岡に製糸場ができた理由

明治3年横浜のフランス商館勤務のPaul Brunatらが武蔵・上野・信濃の各県を
調査し○富岡付近は養蚕が盛んで生糸の原料の繭が確保できる○工場建設に
必要な広い土地が用意できる○製糸に必要な水が既存の用水を使って確保できる
○燃料の石炭が近くの高崎・吉井で採れる○外国人指導の工場建設に地元の
人たちの同意が得られたという理由で富岡に建設が始まり、明治5年
官営模範機械製糸場として操業。以来三井家に払い下げられ原合名会社・
片倉製糸紡績会社(現片倉工業株としてS62年まで操業)まで約115年間
操業し、平成19年1月23日「富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコ
の世界遺産暫定リストに登録。
機会がありましたらぜひ一度見学に来てください。
お待ちしています。

富岡に製糸場ができた理由」への1件のフィードバック

  1. 以前に、高崎駅での電車イベントがあったときに、
    富岡製糸場のパネル展示もありました。
    そこで、見学に行く約束をしたのですが・・・
    それから2年ほど経っています(^^ゞ
    ただ、先日、北区の飛鳥山の博物館で、やはり
    製糸場関係の展示をしていて、巨大なお蚕の模型(人形!?)
    があって怖かったです。富岡には無いといいのですが。
    世界遺産にはなれるのでしょうか???

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